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今年の遠州大名行列物語
Daimyo Gyoretsu Story

 

”千寿の手まり唄"

いつの世も思いやりの心は人から人へ 「まり」の如く パスでつながるんだとさ

今日も晴天の東海道、ここ見付宿も東西に行き交う旅人で栄えております。この見付宿は、人と人との交流はもちろんのこと、物流に合わせて都からの文化芸能も伝わり、東海道屈指、文化の里と呼ばれております。そのためでしょうか、地元に伝わる史実や物語を伝承して、天下太平の江戸時代まで大切に語りつがれております。たとえば、みなさまよくご存じ、見付天神に伝わります“しっぺい太郎の物語”も、そのひとつでございます。

此度の磐田大まつり、そのしっぺい太郎のお話しはまたの機会として、今日は、この土地に伝わります恋物語、時の権力に流されようとも、恋に落ちた人への愛をつらぬき、若くして命を散らしたひとりの舞姫、いまも人々に語りつがれておりますそのうら若き女性のお話をしてまいりたいと思いますが、おや?南本陣においては、なにやら“まり"という言葉が宿役人の間で交わされている様子。少し気になりますが、そちらも詳しく物語のなかでお話しいたしとうございます。

さてさて時は江戸時代中頃…見付宿にはじめて逗留されておられますお殿さま。このお殿さまこそ、今回、見付宿にてくり広げられます出来事にとても深く関わっておられるようでございます。先ずは、このお殿さまからお話しいたしとうございます。

その藩侯とは、丹波国篠山藩五万石、山村山羽頭亮公でございます。藩侯は寺社奉行、大坂城代等を歴任され、文化元年には老中となり、徳川幕府を支えた中心人物として、それはそれはたいそう活躍され、歴史にその名を残されるお殿さまです。

藩侯は、領内に京焼の陶工を招いて窯をひらいたり、農民の直訴を受けて、農民の副業として冬期、灘など杜氏として出稼ぎできるよう認めたりと、国づくりに長けておりました。

その国策と人望からか、先の通り老中としては三十年以上、歴代の老中最長の職につき、徳川幕府を支えていかれるのです。文政十年には、遠江一万石加増により六万石のお殿さまとなられますが、此度は参勤交代のため江戸に向かう途中、加増されました遠江の視察も兼ねて、 はじめて見付宿の逗留が相成ったようです。

今回、藩侯自ら篠山藩に加増されました遠江領視察、その逗留の目的を先触れ役の家臣から伝えられました見付宿の宿役人たちは、初めてご尊顔を拝するお殿さまどのような「おもてなし」をしたものかと頭を悩ませておりましたが、逗留される四月二十五日は、遠江に 伝わる悲しくも美しい物語、その主人公の命日でございました。

そこで宿役人たちは、毎年おこなっておる供養会、今年は藩侯を招いての宴に代えて、この恋物語でもてなそうと、手まり唄を伝承しております翁と手まり唄の童たちの手配をはじめたようでございます。なにを隠しましょう、それが遠い昔より遠江に伝わりますお話、平家物語に登場いたします白拍子、『千手の前」のご命日であったのでございます。

さて、南本陣に設えられました舞台と宴の支度も整ったようでございます。いよいよ藩侯の御前にて、かがり火の照らす仄かな明かりのなか、その舞台中央、翁によって伝えられております千手の前の御霊を鎮める…手まり唄を童たちがお目にかけるのでございます。

見付宿のおもてなしの宴を楽しまれた藩侯は、南本陣を出立する翌朝、「これからは、千手の塚を傾城塚と呼ぶがよい」と話され、見付宿より千手の前が眠る南の大地を眺め偲ばれ たということでございます。


登場人物と背景
丹波国篠山藩 山村 山羽頭 亮 公
たんばのくにささやまはん やまむらやまはのかみりょう

丹波国篠山藩の藩侯として家臣よりの人望も厚く、国を支える民衆の声にも耳を傾け、より良い丹波篠山の国づくりをその精神として日々研鑽、西国においても丹波国に山村のお殿さまありと呼ばれている。その呼び声は幕府にもとどき、重責を担うにふさわしい人物であると認められ、出世街道の役を歴任し、持ち前の力量と知恵で着々とこなしていく。

五万石の大名として幕府に従事していたが、此度、その功により一万石を加増され、遠江の一部を与えられる。そのためであろうか、参勤交代のおり我が藩の領地を見てみたいと家臣に命じ、はじめて見付宿に逗留することとなる。

はじめてのお殿さま、本陣亭主をはじめ見付の宿役人たちが、お殿さまのおもてなしについて毎夜相談していた様子が 「まり」という言葉といっしょに記されていること、見付宿に残されていた古文書から近年確認されたようだ。


千手の塚の翁
せんじゅのつかのおきな

いつの頃からなのか見付宿に庵をかまえて、見付宿はもちろんのこと、浜松宿、袋井宿にても語り部を生業としていた。とくに遠江に伝わる昔話や伝承を語ることを得意とし、その言葉と世界観にひきこまれる旅人も多い。 また、郷土史を学ぶ文化人としても有名で、書き残 した昔話や歴史文献も多い。

とくに語りの題材を求めては遠州地方の村々をまわり、古老の 話を訪ねるなど、興味がわいた昔話を深く探求する性格。そのためか、翁が語る伝承話は作り話ではなく、本当にあった史実と思えるほど、聞く者の心を惹きつける魅力があった。晩年は、白拍子村に残る千手の前の塚近くに庵を構えながら隠棲し塚を守っている。

見付宿に おいて、四月二十五日の千手の前を偲ぶ供養日に奉納される千手の前の物語、一年に一度だ け庵を出てかつて翁がその美しくも悲しい一途の恋の話を語る語り部としてえらばれていた理由が、そこにあるようだ。

また翁は、その千手の前の御霊を鎮める手まり唄を伝承していたといい、ある年の見付宿、参勤交代のため江戸へ向かう途中逗留されていた丹波篠山藩のお殿さまをもてなす宴にて、童といっしょに手まり唄を披露することになる。

(この物語は創作です。)


原作 いわた大祭り実行委員会
登場人物・物語背景演出 光阿弥